〇妙元寺縁起

観応2年(1351年)地頭であった秋元刑部が池上本門寺第3世であった九老僧大経阿闍梨日輪上人に帰依し屋敷を献上して開山となりました。自らも得度し名を「日長」と改めると寺号を「長秋山妙元寺」と称して第2代となり、諸堂の建立に尽力されました。かつては「相模の本門寺」と呼ばれておりましたが、池上本門寺の流れをくむ※不受布施派であったため徳川幕府からのたびたびの迫害を受け、一時は廃寺となりました。その後先師たちによって復興し現在に至ります。

年表についてはこちら→妙元寺年表

〇「心に寄り添うお寺」の意味とは

私が大学を卒業して日蓮宗の僧侶となってすぐの夏のお盆の棚経の事です。
先代の住職から棚経の仕事を頼まれて、檀家さんの家に行きました。部屋にはお盆の精霊棚があり、御先祖をお迎えしてありました。 私が初めて見る方々の遺影、御先祖の位牌、私は先代の住職に言われた御経を唱え御供養致しました。それは私にとって今まで感じた事がない感覚の仕事で、「僧侶の仕事とは・・・?」と初めての仕事に戸惑いを感じました。その感覚とは、「亡くなった人に御経を唱えるとは・・・?」と戸惑ったのです。

それから毎年お盆の棚経の仕事に行き2年3年と月日が経ち、お盆の棚経でいつもお茶を飲みながら会話をした方が亡くなった新盆の時です。精霊棚には会話をした方の遺影があり、その人を思い出しながら心の御経を唱えました。その時です。
私は「亡くなった人を思い出しながら御経を唱える事」が僧侶の大切な仕事だと感じました。
それが「心に寄り添うお寺」の原点です。 亡き故人を偲び、楽しかった会話・為になる会話大切な時間を思い出し心で御経を唱えると、それを聞いた家族からは「心に染みる御経ですね ありがとうございます」と言ってくれたのです。それから私は人と人との関わりを大事にして少しでもその人の心に寄り添えるように、精進していきたいと思います。

〇妙元寺のご供養

妙元寺で大事にしている事は、御供養されている家族との「距離」です。
檀家との距離とは・・・ 話しやすい関係と心が繋がる関係だと考えております。

「話しやすい関係」 様々な相談を気軽に出来る関係 
「心が繋がる関係」 亡くなられた故人様に対して、そのご家族と同様に悲しみを感じながら御供養できる関係

しかしながら、その2つの関係を築くには簡単な事ではありません。
距離を近づけるには個々の時間があります。その為に私は共有出来る時間を大切にしております。
最初に関係を築ける時間(通夜、葬儀)の通夜では、通夜振る舞いを大切にし、1時間は喪主・施主・親族・友人など、多くの方々と会話をして故人の思い出を聞き、葬儀の後に火葬場での精進落としの時には故人がどんな方だったのかを記憶に留める大切な時間であります。

最近は通夜振る舞いには参加せず、火葬場では故人を炉に入れると帰る僧侶も多いといいます。
御供養されている家族との距離を大切にせず、お寺との関係に壁を作るお寺が多くなっているというのも現実です。

しかしながら妙元寺では、通夜・葬儀・法事の時の食事・お盆の棚経での会話など、様々な時間を大切にして、御供養される家族と共に故人を偲んで御供養したいと思っております。これからもお付き合いのほどよろしくお願い致します。

不受不施派(ふじゅふせは)
日蓮の教義である法華経を信仰しない者から施し(布施)を受けたり、法施などをしないという不受不施義を守ろうとする宗派の総称のこと。

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