観応2年(1351年) 九老僧大経阿闍梨日輪上人、妙元寺を開山。
同年 地頭、秋元刑部が自身の屋敷を献上。名を「日長」と改め2代目住職となる。諸堂建築に尽力し、祖師堂、本堂、釈迦堂、七面堂、鬼子母神堂、番神堂、方丈、惣門を建立。
宝徳3年(1451年)本寂院日當上人、9間×7間の本堂を建立
文亀3年(1503年) 祖師堂改築及び歴代先史諸堂整備を行うも幕府より※迫害を受け荒廃する。
正保4年(1647年) 妙壽院日和上人、寺門の復興に尽力
享保11年(1726年) 秀光院日芳上人、本堂、庫裡、釈迦堂、惣門等を復興
天保2年(1831年) 宗祖550遠忌法要を厳修。大門に宝塔を建立
慶応2年(1866年)11月26日、失火により全焼。本尊1体を残し焼失する。
慶応3年(1867年)比企谷妙本寺、日具上人により庫裡を再建。
明治12年
(1879年)
第25代慈観院日道上人、檀信徒の外護により本堂を再建
明治16年
(1883年)
第26代恵正院日喜上人、在住40余年の間に寺門興隆のために尽力。
昭和4年
(1929年)
第27代大是院日完上人、慶応2年の大火により焼失した過去帳の整備に尽力するが翌昭和5年(1930年)に深谷大法寺(現在の綾瀬市)に移り当時は兼務状態なる。
昭和9年
(1934年)
大是院日完上人が病衰のため兼務が厳しくなり約4年無住状態が続いたが、第28代法信院日保上人が後を継ぐ。
昭和38年
(1963年)
日保上人、本堂の改築を行う
昭和46年
(1971年)
日蓮聖人降誕750年記念事業として門柱、玉垣を造営
昭和50年
(1975年)
在住42年、悲願であった本堂新築を見ることなく、法信院日保上人、
病のために遷化
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